「我脱落せず~何度でもやり直せるよ」―中学校宗教講演会(7/15up)
2026.07.15
[行事]
6月、フェリスでは宗教講演会が行われました。これは、6月のキリスト教教育週間の中で一日かけて行われるもので、キリスト教に対する思索を深める行事となっています。
宗教講演会はJ(中学生)とS(高校生)とで分かれて実施され、それぞれ外部の牧師の先生のご講演を聴くところから始まります。ご講演後には、その内容についてクラスでディスカッションを行い、疑問点やもっと考えてみたい論点などを出し合います。その後、全体会で講師の先生との質疑応答を行い、最後に自分が考えたことや思ったことをおのおの感想用紙にまとめて終了となります。
今年のJ宗教講演会は、高橋秀幸先生を講師としてお招きしました。ご講演の題は「我脱落せず~何度でもやり直せるよ」で、聖書に登場するイエス様の弟子ペトロに着目したお話でした。
ペトロは、もともとガリラヤ湖で弟と共に漁師をしていた人ですが、イエス様に声を掛けられ弟子となりました。その後、イエス様の弟子たちの中ではリーダー格の存在として活躍します。しかし、高橋先生曰くこのペトロは「早とちりをしたり、思ったことをすぐしてしまったりする『人間臭い』人」だったそうです。
そんなペトロは聖書の中で一度、普通の人なら到底立ち直れないほどの大きな失敗をしてしまいました。それは、イエス様が逮捕されたあと、人々からイエス様のことを知っているかを尋ねられ、「そんな人は知らない」と三回も否定してしまったことです。イエス様は、逮捕される前からこのことが起こると分かっていて、ペトロに「あなたは私を三回知らないと言うだろう」と伝えていました。その時のペトロは、そんなことはありえないとイエス様の言葉を否定していたのです。しかし実際には、自己保身の気持ちが芽生え、イエス様が言ったとおりの行動に出てしまいました。自分がイエス様の言った通りのことをしたと気付いたペトロは、大声を上げて泣きます。
しかし、ペトロはこの状況から立ち直り、やがて初期教会の中心人物として活躍することになります。その鍵は、死から復活なさったイエス様からの言葉でした。
さて、高橋先生は、幼少期からずっと「自分では何もできない」「他人は自分をばかにしているに違いない」という劣等感にさいなまれており、それを取り繕うために「不自然ながんばり」(内心は緊張した状態のまま、他人に認められるよう外側ではひたすら一生懸命努力すること)を長年重ねた結果、心身が疲弊し、牧師の職から一度離れることになったことがあったそうです。離れた後、「これまでの頑張りも職もすべてを失ってしまった。残ったのは、ただ息を吸っているだけの自分だ」と思うほど追い詰められた先生ですが、上記のペトロのお話によってある事実に気が付き、それに励まされて徐々に回復してゆきました。
そのある事実とは、「イエス様が一緒にいてくださるならば、私たちは何度でもやり直すことができる」ということです。
ペトロはイエス様が十字架に掛けられた後、漁に出て、そこで復活されたイエス様に出会いました。そしてイエス様から「ヨハネのシモン、わたしを愛しているか」と三回問われます。ここでイエス様が使った「愛する」とは、「神が人間を愛する」ことを示す単語で、三回というのはまさにペトロの失敗を思い返させる回数です。高橋先生は、このイエス様の問いの真意とは「ペトロ、きみは神の愛ではぼくを愛せないだろう。でも、ぼくはその愛できみを愛しているよ」と伝えることではないかと言います。
さらにイエス様はその後、「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい」とペトロを励まします。
高橋先生はこの箇所に触れて、あの大失敗をしたペトロが立ち直れたのは、イエス様が共にいてくださって、自分を愛してくださっているからだと気づきました。そして同時に、どんな状態であっても、イエス様が共にいる限り、自分たちもペトロのようにやり直せるのだと思ったそうです。
先生は最後に、世間では辛い境遇にあったりどん底にいたりする人のことを「負け組」と呼ぶことがあるが、「負け組」なんてものはなく、むしろそういった状況の人たちは「イエス様とともに歩む組」であると言い換えられるのではないか、と話してくださいました。ペトロのように、辛くてもう立ち直れないと思う人にこそ、イエス様がともにいてくださって、励ましてくださるからです。
このご講演のあと、クラスで関連する様々なトピックについての話し合いが持たれ、午後の全体会では高橋先生と生徒との間で活発な意見交換がなされました。キリスト教に触れはじめたばかりのJ1も、気になることや知りたいことをどんどん質問しており、どの学年からも質問の尽きない1時間となりました。
今回のお話は、全ての人に関係のあるテーマです。人間である限り、大小の失敗はかならずありますし、再起不能ではないかと思えるような大きな挫折を経験することも時にはあります。そこからどう立ち直るかは人それぞれですが、誰しも一つは立ち直るための支え(=イエス様の励まし)があるということを知っておくことは、私たちの今後の人生に置いて大変心強いことではないでしょうか。失敗に対して不寛容な風潮がはびこる昨今ですが、生徒たちにはタイトルの通り「何度でもやり直せるよ」という自信をもって、多くのことに恐れず挑んでいってほしいと願っています。
クラスディスカッション














