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【歴史探訪】モールトンとフェリスの音楽教育(5/2UP)

2025.05.02

[歴史]

歌を愛し、日々美しいハーモニーを響かせているフェリス生。
しかし、フェリスの音楽教育は最初から高度なものであったわけではありませんでした。

フェリスの音楽教育の礎を築いたのは、第2代校長のブース先生によって1887年に招聘されたカナダ人音楽教師のモールトン(Julia A. Morton)です。
モールトンは、”Tonic Sol-fa”(字音記譜法)と呼ばれる音楽教育法で熱意溢れる指導を行い、フェリス生の音楽的な能力を飛躍的に発展させました。
また、音楽教育に身を捧げるだけでなく、豊かな人格を備えたクリスチャンとして日曜学校を主宰し、多くの生徒を信仰へと誘いました。

しかし、モールトンと生徒たちとの別れは突然のものでした。
1922年にフェリスのヴァン・スカイック・ホールで催された演奏会にて、生徒たちが歌うキングスレーの詩「わかれ」の曲を伴奏中にピアノの上に手を置いたまま亡くなったのです。
翌日(1922年5月27日)の東京朝日新聞および夕刊続報は、モールトンの死を「哀しき告別の曲」「弾奏中卒去したモルトン女史 我が女子教育界の恩人」と報じました。

モールトンの築いた音楽教育の伝統は、時代が変わってもフェリスに深く根づき、現在にいたるまでフェリスを形づくる重要なエッセンスとなっています。


参考資料:
・「フェリス 歴史の扉 第8回 『フェリスにおける音楽教育の伝統』」、「ALL FERRIS」Vol.138、2013年、p.10
・『フェリス女学院100年史』、1970年、p.177


 

指導中のモールトン

生徒とモールトン