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【生徒作成記事】「教養講座」第1回企画 ~哲学対話の沼へようこそ~(6/30 UP)

2023.06.30

[授業]

選択科目「教養講座」。2023年度、高校2年生向けに新設されました。
多様な分野に触れ、自分自身の興味関心を探る科目です。月ごとにテーマを決め、問いを立て、文献を調査し、議論した上で、大学・企業等から講師を招き、探究をさらに深めます。

4月、初回の授業。受講生は、新しい名前(教養ネーム)を自分に付けました。
この授業では、先生も受講生も教養ネームで呼び合います。過去の自分に縛られず、新しい存在としてスタートします。

4月のテーマは「哲学対話」。受講生のぶん太と西園寺が話をしています。

ぶん太 「そもそも哲学対話って何だろう?」
西園寺 「日常で感じる問いに対してあえて立ち止まり、考えたこととか感じたことをみんなでじっくり話し合うものらしいよ。」
ぶん太 「それってどうやるの?」
西園寺 「みんなで円になってやるんだ。」

あたまに「?」が浮かびます。そこで、ダン・ロススタイン+ルース・サンタナ著 吉田新一郎訳『たった一つを変えるだけ』(新評論社、2015年)で紹介されている問い作りの手法 QFT (Question Formulation Technique) を用い、「哲学対話」を焦点にして、問い出しをしました。その上で、哲学対話に関する資料を読み、情報を収集し、問いに答えました。しかし、まだもやもやしています。

ぶん太 「うーん、やっぱりよく分からない。実際にやってみようよ。」

講師として、NPO法人こども哲学・おとな哲学アーダコーダの鳥羽瀬有里さんをお招きしました。
哲学対話について説明を受け、いよいよ実践です。鳥羽瀬さんがファシリテーター(話し合いをより良いゴールに導く役割を担う人)です。

哲学対話では、今は誰が話している時なのかを可視化するために、コミュニティボール(対話のツール)を使うことがあります。話す人がコミュニティボールを持ちます。持っていない人はよく聞きます。今日は、鳥羽瀬さんのグリーン系のふわふわボールを使うことにしました。


まず、輪になって、受講生が一人一人、準備してきた問いを挙げ、話したい理由を共有します。
「なぜ、謙遜してしまうのか?」
「正義って何なのか?」
「なぜ、兄にムカつくのか?」
「普通って何なのか?」
「なぜ、人は人を傷つけてしまうのか?」
「平等って何だろう?」
「人前で話すとなぜ緊張してしまうのか?」
「一目ぼれって何なのか?」
「目に見えないものを信じるって何だろう?」
「奇跡・偶然・運は本当に奇跡・偶然・運なのか?」
「プライドって何なのか?」
問いと理由を共有するだけで、新鮮な驚きが広がります。


どれも立ち止まって考えたい問いですが、今回は、「友達の定義とは?」をみんなで選び、哲学対話を始めました。

「少しでも話したことがあれば友達!」「二人きりでも気まずくない人」「友達にもいろいろな段階があって、はっきりとは決められない」など、みな違うことを考えていることがわかり、驚きです。

小学生の頃、自分が友達だと思っていた人から、「えっ、(あなたって)友達だったの?」と言われた切ない経験をわかちあうこともありました。

「会わない時間が長いと、友達ではなくなってしまうこともあるのだろうか?」
新たな問いも生まれてきました。

あっという間に30分が過ぎ、まだまだ話し合い足りない!!という気持ちで対話を終えました。

西園寺 「どうだった?」
ぶん太 「いや~、哲学対話は沼だね!!今まで何にも考えず、友達って言葉を使っていて、定義なんて考えもしなかったよ。」
西園寺 「うんうん。きっと他にもなんとなく受け入れている概念ってあるよね。」
ぶん太 「誰かの意見を聞いているうちに新しい考えが生まれたり、新たな発見があったりして実りのある時間だった気がするよ。」
西園寺 「参加者には等しく発言権があって、かつ発言が強制されない。誰にでも居場所があるのが哲学対話の良さだよね。普段の生活でも使えないかな…」
ぶん太 「家で暇な時に家族とやったら家族の意外な世界観が感じられるかもね。私は最近部活の運営方針の違いで悩んでいるから、みんなで哲学対話をやってみようかな…」
西園寺 「いいね!対話形式ならお互いの考えを深められそう!!もっと大きく、政治の場でもやってみてほしいな。深い対話が出来ればもっと社会がよくなると思うんだ。足し算じゃなく、掛け算的にいい意見が生まれるはずだよ。HRとか修養会とかでも使えそうだな…放課後にやってみてもいいかも……」
ぶん太 「つまりこういうことでしょ…哲学対話の扉はいつでも開かれている!!」
西園寺 「う、うん!(なんか違う気はするけど……)」

普段は意識していないことについて立ち止まり、一緒に考え、聞き、向き合う場。
それが哲学対話なのです。

考えがもやもやしている時でも、他の人の意見を聴くことで、自分の考えが生まれてくることがあります。自分の意見を持っていたとしても、その考えが変わることもあります。新たな気付きの連続です。

否定されることがなく、「安心して」「自分のタイミングで」「自由に」発言できる。発言するとさらに新たな問いが生まれる……。

哲学対話によって、私たちは、終わりのない問いに「居場所を持てる」のです。

対話をすることで自分の意見を深く考える機会を得られるだけではなく、相手の意見からその人の内側まで覗くことが出来ます。そうすれば良い人間関係が築けるはずです。

気づきと出会いが共存する哲学対話。
結論が出ない、まさに沼のような哲学対話。

ぜひ皆様もこの沼にハマってみませんか??

 

コミュニティボール(生徒作製)