【歴史探訪】明治期の遠足
2022.06.20
[歴史]
5月に、中学2年生から高校3年生までが遠足に出かけました(中学1年生は山手めぐり、中学3年生はフィールドワークを実施)。
現在、中高2号館では遠足についての展示を行っています。
フェリスの遠足はいったいいつからあるのでしょうか。
明治期のフェリスでは、遠足のことを「(遠足)運動会」と呼んでいました。
1908年(明治41年)の遠足については、生徒の作文が残っており、「いつものごとく・・・」と書かれているので、それ以前から遠足があったと思われます。
1907年に葉山に「ピクニック」に行っていることは分かっていますが、それ以前の具体的な記録がないので、いつから始まっているのかはわかりません。
生徒の作文によれば、当時の遠足はかなりハードな行程だったようです。
ー遠足の行程(1908年)ー
横浜駅==鎌倉……八幡宮……大塔の宮……海浜園……長谷寺……大仏殿……長谷駅==藤沢==横浜駅(午後6時20分頃)
(注:==部は列車、……部は徒歩)
この時の記念写真(記事下部の写真参照)の左端に映っているのが、当時の校旗です。
そして、前列の生徒たちが持っている旗を見ると、盾の中にAからK(注: Jは確認できません)のアルファベットが書かれた旗を、各クラスが持って歩いていたことが想像できます。
着物に草履で女学生がてくてく歩いている姿を想像すると、思わず笑みがこぼれてしまいます。
作文には、お弁当の時間を楽しみにしたり、先生たちと一緒に遊べたことを喜んだりと、今も昔も変わらない無邪気な生徒たちの姿が描かれています。
参考資料:
・『フェリスのあゆみ 年表と写真でたどる150年』 学校法人フェリス女学院発行、2020年
遠足の記念写真(1908年)
中高2号館の展示(2022年5月)